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2024.08.06
東洋史・山崎ゼミの学外見学会(2024年度前期)
奈良大学文学部史学科では、ゼミごとに学外見学会もおこなっています。今回は、東洋史・山崎ゼミの学外見学会の紹介です。
2024年8月4日(日)に京都の高麗美術館と龍谷ミュージアムを見学しました。
午前中は高麗美術館を見学しました。同館は1988年に、在日朝鮮人一世の実業家・鄭詔文氏によって立てられた私設美術館です。鄭氏は本業の飲食店経営のかたわら、日本と韓国・朝鮮の相互理解を促進するため、さまざまな文化事業に力をいれていました。林屋辰三郎・上田正昭・金達寿・司馬遼太郎といった著名な文化人とも交際があり、亡くなる前年に、それまで収集していた朝鮮の美術工芸品を一堂に会したこの美術館を完成させました。ちなみに「高麗」とは、10世紀から14世紀にかけて朝鮮半島に栄えた統一王朝の名前です。韓国と朝鮮のどちらかということなく、両者が一日も早く平和的に統一を迎えることを祈って名づけられたものです。
今回は「風俗画と民具から見る朝鮮時代」と題する展覧会が開かれており、鄭詔文氏の息子さんで同館代表理事の鄭喜斗さんのご厚意で、じきじきに展示物を解説していただきました。鄭さんはなんと奈良大学文化財学科の卒業生! 朝鮮時代後期の四季を通じた農作業を描いた屏風や、旅先で先祖をまつるための宗廟を描いた掛軸、新井白石の時代に来日した朝鮮通信使の行列を描いた絵巻など、本物の文物を前にした生き生きとした解説に、学生たちも興味深く聞き入っていました。
下は一階展示室にて。美術館は、かつて鄭詔文氏の自宅だったところを改装したものだそうですが、展示品のそこここに丁寧な解説文がつけられており、かなり見ごたえがあります。
両班が愛用した飲食器や、農村の演劇に用いる仮面、紙のこよりを編んで漆を塗ったお盆まで、テレビの韓流時代劇に出てくるような調度品がずらり。
高麗美術館を出て、せっかく京都まで来たのでということで、徒歩20分の大徳寺へ。枯山水の傑作で名高い大仙院と、信長ゆかりの黄梅院に参拝しました。下の写真は肥後細川家の菩提寺・高桐院の門前。残念ながら現在は拝観休止中です。
黄梅院は、織田信長が父信秀の菩提を弔うために創建した黄梅庵を起源としています。その後、信長の墓所は秀吉によって同じ大徳寺内の総見院に移され、黄梅院は小早川氏の帰依を受けて、毛利氏の菩提寺となったそうです。庭園は一面苔に覆われ、敷地はかなり広い印象です。ほかに人影もなく、ほとんど貸切状態でした。拝観料は高めですが、静かな環境でゆっくり落ち着きたい人にはお勧めしたいお寺です。
玉砂利は水を表し、また迷妄に揺れる心の波立ちを表すとか。こらこら、廊下を走ってはいけません。
猛暑厳しい中、時刻は午後二時前です。昼食もとらず歩きづめで、ちょっと疲れてきましたね。
クーラーの きいた小部屋で ひとやすみ 眼には眼福 腹は空腹
大徳寺を出てバスで20分ほど、烏丸御池の地下街にて、極限に達した空腹を信州そばで満たします。腹をこしらえて少し眠くなってきたところで、午後のミッションが始まります。西本願寺東向かいの龍谷ミュージアムへ Off We Go!(変なテンション)
龍谷ミュージアムでは「阿弥陀さん七変化」と題する展覧会が開催中です。会期は8月18日まで。ガンダーラからソグディアナをへて中国・日本にいたる仏教美術の東漸の過程と、主に日本での阿弥陀仏にまつわるさまざまな図像表現を概観することができます。アジア諸文明の悠久の歴史にロマンを感じてください。
龍谷ミュージアムの入口にて。展示室は撮影禁止。
唯一撮影可なのは、龍谷名物ベゼクリク模造回廊。ばえてますよ!
雨上がりの西本願寺前。美術館の中まで雷鳴がとどろく大雨で、閉館後もしばらく雨宿りをしましたが、10分ほどで帰途につくことができました。これも日ごろの信心のたまものでしょうか。>誰の?
打ち上げは留学生の趙君の案内で四川系のガチ中華へ。
こんなに赤いのに味は中辛でおいしい。さすがは留学生に評判の名店です。ほとんど残さず平らげました。
やれやれ......
辛いもののあとは甘いもの。無敵ギャルズのデザートは別腹に消え。。。
こんな感じの一日で、帰りは10時ごろになってしまいました。みなさんお疲れさま。よい夏休みを!