国文学科のトピックス
TOPICS
授業風景
NEW
2025.12.12
実地見学踏査で當麻寺周辺を散策しました
11月30日に、授業「実地見学踏査」(担当:鈴木喬先生)で奈良県葛城市の當麻寺周辺を散策しました。
今回は、『万葉集』の大津皇子や『日本書紀』にみられる當麻蹴速(相撲の開祖)、中将姫について実地で学びました。
行程:當麻蹴速塚→傘堂→鳥谷口古墳→當麻寺→葛城市相撲館「けはや座」
當麻蹴速塚

當麻蹴速は垂仁天皇の頃の人で、野見宿禰(のみのすくね)とともに相撲取(力士)の祖と伝えられています。『日本書紀』では、垂仁天皇の命によって出雲の野見宿禰と力くらべをしたとき、互いに蹴り合った後に、蹴速は宿禰に腰を踏み折られて死んだといい、蹴速の土地は没収されて勝者の野見宿禰の土地となった記されます。蹴速塚は、その墓と伝承され、鎌倉期に造られた「五輪塔」。相撲関係者の信仰の対象となっています。
傘堂

郡山藩主・本多政勝の菩提をとむらうため、郡奉行を務めていた吉弘統家が1674年に建てた「位牌堂」。瓦に「本」であるのは「本多」の「本」。四角い一本柱を中心に立て、その上に本瓦葺の方形造の屋根がのる珍しい形の建物で、その全体的な形が唐傘に似ていることから傘堂(唐傘堂)と呼ばれています。また、いつの頃からか、安楽往生を願う庶民信仰の対象にもなっています。
鳥谷口古墳

大津皇子の墓と推定される古墳です。大津皇子は、当初、別のところに埋葬されていましたが、『万葉集』によると、大津皇子の遺体を二上山に移し葬ったと記載されています。大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に、大伯皇女の哀傷して作らす歌二首
・うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたがみやま)を 弟(いろせ)と我が見む (2・165)(生きている人である私は、明日から二上山をわが弟の君であると見て偲ぶだろう)
大津皇子は、天武天皇を父に、天智天皇の長女・大田皇女(おおたのひめみこ)を母にもつ皇子です。『懐風藻』によると、文武ともに優れていたうえ、高貴の身分に奢ることもなく、誰からも愛
されていたと伝えます。しかし、謀反の嫌疑をかけられ、24歳の若さで自害に追い込まれてしまいます(皇位継承争いかともされる)。そのような伝承地で、関連する万葉歌を学びました。
當麻寺

當麻寺は612年に用明天皇の第三皇子・麻呂子親王が聖徳太子の教えにより創建されたという伝承をもちます。夕日の沈む聖なる山として信仰した二上山の麓にあり、天平宝字7年(763)中将姫によって當麻曼荼羅が織りなされると、極楽浄土信仰の聖地となっていきます。仏像だけでなく、當麻曼荼羅本堂や梵鐘、東塔・西塔など多くの国宝を有しています。
本堂の中将姫坐像は江戸時代のものですが、作家の五木寛之氏が『當麻寺の雨』で、この像を「大和のモナ・リザ」と評しています。
葛城市相撲館「けはや座」
奈良県葛城市は相撲発祥の地であり、當麻蹴速を顕彰し、相撲の歴史を現在に伝える施設。

相撲の歴史について、学びを得ることができました。また本来は上がることのできない土俵に立ち、その大きさ、土俵の堅さなどを実感することができました。
文学の故地を歩きながら、伝承や仏教美術、日本の文化を体感することができました。
(写真掲載について、當麻寺、けはや座等の許可を得ています。)
