国文学科のトピックス
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授業風景
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2026.02.01
授業「実地見学踏査」で、枚岡神社、石切劔箭神社周辺を歩きました。
1月18日、「実地見学踏査」(担当:鈴木喬先生)で、枚岡神社、石切劔箭神社周辺を歩きました。
(写真掲載にあたり、枚岡神社、石切劔箭神社の許可を得ています。御礼申し上げます。)

東大阪の生駒山西麓は、神武天皇の伝承地であり、信仰の地として多くの人々を引き付ける地です(奈良大学から電車で30分くらい)。
カムヤマトイハレビコ(のちの神武天皇)は、天下を治めるため、九州の日向高千穂(宮崎)から東に向かい、大和の国、畝傍山の橿原の地で即位しました。これを神武東征といいます。神武東征の折、浪速(今の大阪湾、当時の湾はかなりいりくんでいたと伝え、枚岡、石切から見下ろす景はかつて海でした)に上陸し、生駒山を越えて大和の国へ進もうとしますが、ナガスネヒコの軍がこれを阻止し、生駒山を越えることができませんでした。そればかりか、兄である五瀬命が流れ矢によって致命傷を負うなど、かなりの痛手を負った地です。
枚岡神社(元春日)
河内国一之宮。枚岡神社の創祀は、社伝によると初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前。神武御東征の際、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命が国土平定を祈願するため天児屋根命・比売御神の二神を、霊地・神津嶽(かみつだけ)に磐境を設け祀ったのが枚岡神社の創祀とされています。孝徳天皇の白雉元年(650)に、平岡連らにより神津嶽から現在の地へ奉遷され、神護景雲2年(768)に、天児屋根命・比売御神の二神が春日山本宮の峰に影向せられ、春日神社(現在の春日大社)に祀られるようになります。このことから「元春日」ともよばれています。その後、宝亀(ほうき)9年(778)春日神社より、武甕槌命・経津主命の二神を春日神社より迎え配祀し、四殿となり、現在に至っています。
神事として、「粥占神事」が有名で、1月15日に御竈殿といわれる神聖な場所で、火種を作るところから小豆粥を炊き上げます。その際、釜に浸した53本の占竹の束に入った粥の量で一年の作物の豊凶を占い、竈にくべた黒樫の焦げ具合で天候も占います。神事後には結果が印字された「占記」が配布されていました。


石切劔箭神社(石切さん)
石切神社は、饒速日尊と可美真手命を祀り、「石切さん」と参拝者によって親しまれています。石切さんは、「でんぼの神さん」として知られ、腫れ物などを治してくださる神として信仰されています。お百度参りの参拝者でいつも賑わっています。この「でんぼ」は関西方言で「腫れ物」の意ですが、本来は「伝法」(古くから伝えられる秘法)の意であったろうとされます。
石切参道商店街は賑やかで、活気があります。これも「石切劔箭神社」の人を引き付ける力なのだと感じました。



パンドラの丘
近鉄石切駅から北側に日下山と呼ばれる山林が広がり、そこに、パンドラの丘と呼ばれるところがあります。かつては孔舎衙健康道場という結核の療養施設があり、そこを舞台にした小説が太宰治の「パンドラの匣(はこ)」です。「パンドラの丘」は、その小説に因んだ名です。


石切、枚岡から見下ろす景色は、かつて入江(日下江)だった景色。

