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研究・地域連携
RESEARCH & COMMUNITY RELATIONS

研究成果
RESEARCH RESULT

研究活動等の成果

大学のリソースの活用による様々な研究活動等の成果を、刊行物の形で公表しています。
ここではその一端をご紹介します。(過去のものは概要のみの公表となります)

夢二著作集図録

平成17年3月31日、奈良大学総合研究所刊。全37頁。
平成15年10月、奈良大学図書館に寄贈された福持通氏(元都ホテル社長)の蔵書のうち、竹久夢二の著書52点、番外として島崎藤村詩集『一葉舟』、室町期に成立した写本『新撰増注光源氏之小鏡』を収録。当コレクションは夢二本の約7割を占め、なおかつ出版当時を偲ばせる美本揃いという希有な特徴を持つ。
その全容を記録するために、本図録はカラー撮影した全冊の書影を掲載すると共に、詳細な書誌、寄贈目録を付している。

伊勢参り「宝来講」

復刻版 宝来講 道中細見記

『復刻版 宝来講 道中細見記』は、1986年より奈良大学史学科の日本近世史ゼミを中心に行われている、徒歩による伊勢参り「宝来講」の行程とその成果を詳細に記した冊子で、実際に伊勢本街道を歩くための手引書として利用できるように、編集されています。
宝来講は、江戸時代の旅を再現し、データを収集・分析することにより、歴史学研究に生かすことを目的としています。
江戸時代、庶民の間で流行した伊勢参りを、当時と同じ行程で旧街道を忠実に辿って歩きます。奈良大学を出て、猿沢池畔より上街道を南下、初瀬・榛原を経て、伊勢本街道を東進し、峠を越えて伊勢神宮までの約130km、4泊5日の旅です。
『宝来講道中細見記』では、宝来講で通行している旧街道のルートや街道景観の案内を中心に、街道や集落に関する歴史的な研究成果や、江戸時代の旅や伊勢参りについての解説、道中でのエピソードなどを紹介しています。
1992年より3年間にわたって、史学科鎌田研究室で『宝来講道中細見記』を作成してきましたが、2002年奈良大学総合研究所から1994年版を復刻刊行いたしました。したがって、復刻版の内容は1994年時点のものですので、実用の際にはご注意ください。ここでは、この細見記を少しご紹介したいと思います。

道中へ持参すべき品々

『新撰伊勢道中細見記』に「道中へ持参すべき品々」の大略として、39品目があげられている。衣類、脇差、頭巾、三尺手拭のほか、硯、算盤、秤や髪結道具、蝋燭ならびに付木など当時の生活様式の縮図を見るおもいだが、中には綱三筋が含まれている。説明書きに物干し、荷物のまとめ用に使用するとあるが、これは現在の宝来講でも通用する、誠に重宝なアイテムである。 この「品々」には、宝来講でおなじみのひしゃくがない。路銀も準備も十分の、ごく一般的な参宮者を読者として考えていたからであろう。しかし、「おかげ参り」「抜け参り」のような、十分な準備のないままに出て行ったと思われる場合、何を持っていったのだろうか。 元禄11年、入野村(兵庫県龍野市)の「抜け参り」母子二人が、7日目に守口市で行き倒れた時の記録がある。これによると死亡者の遺品は、衣類のほかひしゃくと菅笠だけであった。これで六歳の娘と参宮に出たのであるからかなり無謀にも思えるが、沿道の施行で「抜け参り」でも旅は可能であった背景が存在する。その施行を受けるために持ち歩いたといわれるひしゃくは、ぎりぎり最低限の「持参すべき品」であったのである。

太一

大和など畿内の参宮常夜燈は、竿石に「太神宮」と刻むものが多いが、伊勢に入るとこれが「太一」となる。
「太一」は「大一」とも書き、伊勢神宮御用の印である。天照大神を示しているというが、詳細な由来は分かっていない。おそらくは「唯一神明造」の「唯一」などと同じように、他のものとは違う絶対の存在という意味なのであろう。神宮の遷宮の際も、御用材の伐り出し・運搬の各所で「大一」の幟が掲げられるし、遷宮の裏方・神宮工作所の職員が使用している作業帽やヘルメットにも、まるで徽章の如くに「太一」とある。

宝来講の夜

夕暮れが迫ってくる。具合よく宿場に着いた。「御隠居、宿はどこにとりましょう?」「うむ、どうしましょうかな」「どうせならかわい娘ちゃんがたくさんいて、めしがうまくて、たらふく食わしてくれる所がいいな」
そこへ客引き「ささ、うちへ泊まってっておくんなさいまし。めしはうまいものがたらふく、いい娘もいますぜ」「そうかい、御隠居ここにしましょう」「はっはっは、八兵衛にはかないませんな。それでは目印の笠を表に吊っておいてください」・・・
こういう気楽な旅を時代劇では描き続けてきた。しかし、実際に忠実に江戸時代のような旅をしてみると、宿での時間は意外とあわただしいものだと知らされる。
一方、そうした旅を現代にするがためのギャップというものもあり、これを埋めるためにも時間は費やされる。いったい黄門様はいつ洗濯をし、いつマメをつぶすのか、と疑問を抱きつつ、夜は過ぎていくのである。

江戸期の奈良絵図集成

奈良大仏前絵図屋筒井家刻成絵図集成

江戸時代から明治・大正・昭和へと、奈良の名所記・案内図を出版しつづけてきた奈良大仏前絵図屋筒井家には、観光開発の貴重な足取りを示す版木、銅版、刻成見本、完成本、文書、記録などが大切に保存されてきています。
その絵図屋筒井家が手がけてきた出版物のなかから、絵図類にかぎってですが、集成して公刊しました。
絵図屋筒井家の出版した絵図類は、その収載地域から、奈良図、広域図、日本図に大別することができます。この3つの絵図について、少しご紹介しますので、ぜひご覧下さい。

奈良図

南都大仏殿遠矢之図

奈良図には、奈良観光の中核部を描いた奈良の名所絵図や奈良町を中心とする絵地図、東大寺をはじめとする寺社関係絵図をおさめています。

日本図

大日本早引細見絵図

日本図は、文字どおり日本全国を収載対象としたものということになりますが、最北部また最南部が省かれたもの、逆に海外まで広く境域を拡大して描いたものもあり、厳密な意味では日本図とは言えませんが、配列しています。

広域図

大和長谷寺真景図 1

大和長谷寺真景図 2

広域図は、大和めぐり・奈良名所めぐりへの誘いをめざしたと考えられる道中絵図類で、伊勢参宮の旅人を奈良・大和へと誘引する伊勢・大和廻り絵図と、西国三十三ヵ所観音霊場めぐりの道中案内図からなります。

正倉院御物修繕還納目録

正倉院御物修繕還納目録 -開題と翻刻-

正倉院宝物は、古代の文物が地中に埋もれることなく、今日まで伝えられてきた点で、世界に類のない文化財として高い評価を受けています。実際、木や紙、繊維製品などが当時のままに見られるのは、奇跡といっても言い過ぎではありません。
しかしこの宝物も、中世から近世には放置され、明治になって宝物の価値が再認識されたときには、傷みの進んだものが少なくありませんでした。それが今日見るような姿になったのは、明治中期に行なわれた大掛かりな整理と復原作業の結果です。
この事業のことは、一般にはほとんど知られていませんが、関連の記録が東京国立博物館に所蔵されています。この本はその中から、修理の経過や内容を知る上に重要な記録を取り上げ、解説と索引を加えて公刊したものです。奈良時代そのままのように見える宝物の、どこが明治に補われたものかなど、宝物の現状を理解するためには必須の手引きとなるでしょう。

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飛鳥・藤原研究関連文献目録

飛鳥・藤原研究関連文献目録(稿)
(令和4(2022)年度奈良大学研究助成(奈良を中心とする研究)『飛鳥・藤原地域における歴史遺産の基礎研究』)研究成果

21世紀を迎え、多くの変革の時代を迎えている今日、飛鳥・藤原地域も大きな変革の渦の中にある。文化財の調査研究や文化財行政も例外ではなく、多くの課題を抱え、変化を要求されてきた。飛鳥・藤原地域の地下には、飛鳥文化が花開いた歴史が刻まれており、地上には歴史的風土と呼ばれる景観が広がっている。これらは古都保存法及び明日香村特別措置法・景観法・風致条例等によって守られてきたが、飛鳥文化の解明と共に、これら の文化遺産を次の世代へと正しく伝えることも、我々に課せられた大きな責務である。
この飛鳥・藤原地域の考古学的な解明は、昭和8年の石舞台古墳の調査にはじまり、昭和31年以降は飛鳥寺跡・川原寺跡・飛鳥宮跡をはじめ、継続的で本格的な発掘調査が進め られてきた。その成果は新たな事実を次々と提示し、日本国誕生の歴史を証明してきた。筆者は以前に飛鳥・藤原地域の発掘調査の歴史を振り返る簡単な図録を作成したことがある。その中で、近年の発掘調査成果については目を見張るものがあることを改めて痛感し た。研究史を整理することは、現在の研究の到達点を確認することであり、次の研究への課題を明確にし、確かなステップとするものであると同時に、現在、世界遺産登録を目指 している「飛鳥・藤原」の基礎に位置づけられる。
このように飛鳥・藤原研究の歴史は長く、さらに関連諸分野は極めて広範囲にわたる。これらを総合的・網羅的に簡要にまとめるのは困難で、その基礎となる研究文献の収集や 目録すら整っていないのが現状である。これらの研究成果を十分に把握できていないことが、研究の妨げの一因となっている。そこで「飛鳥・藤原研究関連文献目録」の整備・公 開が、飛鳥・藤原研究の基礎資料になると考える。

本目録で扱う地域は飛鳥文化の中心ということもあり、飛鳥を中心として藤原京地域までのエリアを設定する。現在の行政区では明日香村と高取町・橿原市・桜井市の一部とい うことになろう。その研究領域は考古学の分野が主流をなすが、史料学・文学・地理学などの関連諸分野の研究も網羅し、文化財保存や文化財行政についても含めることにした。 時代設定は飛鳥文化、つまり7世紀を中心とするが、それ以前・以降についても可能な限り含めることとした。

本書では脱漏も多いと考えるので、今回は(稿)として刊行し、将来に期したいと考える。文献目録のさらなる充実に向けて、脱漏文献のご教示、ご指導をお願いする次第である。

令和5年(2023) 3月 研究代表者 相原嘉之

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