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2017/05/15

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寺崎保広研究室(日本古代史)NEWS(アーカイブ)の第六弾「〈身辺雑記〉 スマホと本」を紹介します。

寺崎保広研究室(日本古代史)NEWS(アーカイブ)の第六弾「〈身辺雑記〉 スマホと本」を紹介します。
 
 〈身辺雑記〉 スマホと本
 
 人類の歴史の中で、21世紀初頭は親指の働きが極度に発達した時代、などと言われるようになるかも知れない。携帯メールやスマホなど、自分で使わない者からすると、親指の動きの早さは驚異的である。あるいは遡って、戦後の手打ちのパチンコの頃から親指の「活躍」は始まっていたのかも知れないが…。
 
 今年(2015)の4月、信州大学の入学式で学長が「スマホやめますか、それとも大学生やめますか」という祝辞を述べたことが話題となった。新聞によれば、若者がスマホ依存症になっている風潮にふれた上で「知性・個性・独創性の毒となっているスマホのスイッチを切り、本を読み友達と話し、自分で考えることを習慣づけよう」と呼びかけたという。
 
 三分の二以上の学生がスマホを使っているという現状からすると、かなりショッキングな発言だったようで様々なコメントが寄せられた。私は特に意見はないのだが、授業でのちょっとした調べ物は良いとして卒業論文なりレポートなり少しでも自分の考えを出そうとする場合には、スマホではダメでやはり本を読まないといけないと思っている。
 
 丸谷才一はかつて次のように書いた。
 
「いまわたしたちが読むような形の本、つまり、①本文が白い洋紙で、②その両面に、③主として活字で組んだ組版を黒いインクで印刷し、④各ページにノンブルを打ち、⑤それを重ねて綴ぢ、⑥表紙をつけてあるものーは、ずいぶん便利だなと感心する。その便利さは、この形の本が出来る前のものと比較すればよくわかるはずだ」として、写本や木版本がいかにかさばり必要箇所を探すのに不便かを説明した上で、「こんなふうに考へると、現行形式の本によっていまわたしたちが受けてゐる恩恵は非常なもの」で「人間の発明した最上の道具のひとつ」だという。そして「将来、年老いた村上春樹の新作長編小説も、中年の俵万智の新作歌集も、まづ本として売り出されるだろう。レーザーディスクやテープ、あるいはもっと新しい何かで出るとしても本が主体だろう」と書いたのが1993年である(「書評と「週刊朝日」」)。
 
 現時点では、一つの事柄をパソコンやスマホで調べようとすると、それは「誰かが選択し、誰かが書いた」データの中から検索することになる。つまり信頼度に不安がある。将来かりにこれまで世界中で刊行された本のデータがすべて収められるようになったとしても、今度はそこからどうやって「自分にとって必要な事柄」を検索すれば良いのか…。
 
 図書館の書庫や本屋の棚の前で「立ち読み」しながら必要な本を見つけ、周囲の他の本にもちょっと「浮気」をしてみるという検索方法が意外に有効なのではないか、と「旧世代人」は思うのである。
 
(「研究室NEWS」16号 2015年6月)

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