対象者別メニュー

ACADEMIC

学部・大学院

文化財学科からのお知らせ

2021/03/09

ニュース

関根俊一教授と大学院生が四天王像のさとがえりをお手伝いしました。

 本学所蔵の⽊造四天王像が、法相宗別格本⼭喜光寺(奈良市菅原町)にさとがえりするため、関根俊⼀教授(⽇本美術史)と⽂学研究科⽂化財史料学専攻の⼤学院⽣5⼈が、同寺を訪れ準備を⾏いました。

 喜光寺では、令和3年に創建1300年を迎えた記念事業の⼀環として仏舎利殿が建⽴され、3⽉2⽇の⾏基會⼤祭に合わせて、本尊、千仏などの開眼法要が⾏われました。四天王像も⾏基會⼤祭に合わせてさとがえりし、7⽉頃まで喜光寺の仏舎利殿に仮安置されています。

 

※ 喜光寺ホームページはこちら http://www.kikouji.com/ (外部リンク)

 

 

 

 ⽊造四天王像(持国天像、増⻑天像、広⽬天像、多聞天像)は、⼤和郡⼭市の額安寺(⼤和郡⼭市額⽥部町)に伝来し、平成17年に本学が譲り受けました。阪神・淡路⼤震災(平成7年)で被災し、破損していた四天王像を、関根教授が中⼼となり、仏像修復技術者⼭⼝正芳⽒のもとで解体修理と台座の補作を⾏いました。その際に、広⽬天像と多聞天像の像内から、江⼾時代に書かれた「菅原寺」「⾏基⼤菩薩御作」等の墨書銘が発⾒され、額安寺にまつられる前に、「菅原寺」(現、喜光寺)にあったことがわかりました。

 

 この四天王像については、⽯⽥茂作⽒が『⾶⿃時代寺院址の研究』(第⼀書房、1936年)の「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」(額安寺)の項で、喜光寺(菅原寺)から移されたという聞き伝えを紹介しており、「菅原寺」の墨書発⾒で、その伝承が確かめられました。喜光寺は、明治初年の神仏分離令によって引き起こされる廃仏毀釈の影響で荒廃・混乱し、明治2年にいったん廃寺となり、その際に四天王像は喜光寺を離れ、当時の本⼭⻄⼤寺を経由して額安寺に移安されたと思われます。

 

 

 

 

一覧へ戻る

ページトップ